全てをオープンにしろというわけじゃないんだから、そういうのに興味を示し始めても
見て見ぬふりをするとかやり方はあると思うよね。
そういうのを否定することは、却って子供の健全育成を阻害する可能性があるという意見、大いに納得できる。
まぁ、中にはそれを早急に実践して精神的な成熟の前に子供作っちゃうアホも居るが…
「子供を守る」を御旗に性的表現禁じるのは無責任 こっそり覗き見、健全な大人になるにはむしろ必要
エンタテインメントにおける性的表現について、たびたび意見を表明してきたが、改めて個人的な意見を申し述べておきたい。
いわゆる「エロ表現」についてだが、「子供を守る」を御旗(みはた)にこれをやみくもに禁じようとする意見には、私は反対だ。「子供を守る」ために「子供にエロを見せない」という意見は、私には無責任としか思われないのである。
子供にエロなどとんでもない! そう語る人は、同時に「いつから性的表現を解禁するか?」「性的表現の解禁に対して、具体的にどのようなソフトランディングの用意をするか?」ということを検討しているだろうか?
例えば成人を解禁の区切りとするとしよう。その場合、子供に対して禁じてきた数多の性的表現を「はい、成人したから今日から解禁、どんな過激なものでも自由に閲覧してください。実践についても自分の判断でご自由に」というのは、あまりにも無責任である。しかし成人前講義を行うとすれば、講師の選定は? 各種性癖に応じた教材の選定は? カリキュラムはどう立てる? 問題は山積みだ。
そしてまた、自分が子供だったなら、秘めたる性をこんな赤裸々に無神経に暴き立てる講義を子供時代の最後に強要されたいか? ということにも思いを馳(は)せていただきたい。
性に「健全であること」だけを求めるのは、非現実的なことである。性と快楽とは切り離せない問題で、しかし快楽に怠惰に耽(ふけ)ることは自分の人生に堕落や破滅を招く。だからこそ「快楽を求めようとする性的欲求をどのように飼い慣らすか」を人間は学ばねばならない。避妊や自慰行為ももちろん「飼い慣らす」作業の一つである。
そして、様々な形で「性の雑学」を蓄えることも、「性的欲求を飼い慣らす」ために必要な作業であろうと思う。
そのために性教育がある、という意見には落とし穴がある。例えば性感帯の分布には個人差があるというような繊細なことを「教育」で一律に教えることができるかどうか?
性的情動も絡む問題だし、実際問題としては非常に難しいだろう。人には様々な性的快楽のツボがあり、それは一律には決めつけることができない。そうした広汎な「性の雑学」を得ることは、愛する人も含めて他者の性に配慮するために必要なものである。
子供が性的なものに興味を示すのは、正常な発達の過程である。エロティックなものをこっそり覗(のぞ)き見て、耳年増になっておくことは、健全な大人になるためにはむしろ必要なことだと思う。
そして、週刊少年漫画で昔から一定の需要を持っている「ちょっとエッチな漫画」は、耳年増になるための適切な刺激の役割を果たしている。
性に目覚めようとする子供に大人が果たすべき役割は、少年ジャンプに載っている「ハダカ」に目くじらを立てることではない。少年漫画のハダカなど、女の「具」の詳細は描けない程度のあっさりしたハダカである。何なら、現実を知っておくために、お父さんの持っているエッチな本やDVDを盗み見ることさえお目こぼししていいくらいだ。
ただし、それが「秘めたるべきものである」ということや、「嫌がる相手に無理強いしてはいけない」ということ、「責任の取れない性的衝動に身を任せてはいけない」ということを、折に触れ上手に示唆する-それが粋な大人の態度というものではないだろうか。
性に興味が出てきた少年少女に対しては、「避妊具を自分のお金で堂々と調達できない経済力とメンタルしか持てないうちは、『実践』の資格などまだまだありませんよ」ということでひとつ。