アレが暴力的じゃないって…冗談や皮肉にしても笑えないですよ。
>『挑発に乗るな』
いえ、懲りもせずに挑発「し続けてきた」のはアナタらです。 平和運動という名の下で、数々の暴力行為を繰り返してきたという認識しか ありませんけどね、アンタらには(冷笑) 数を集めての威圧的なモノ言いにしても、手は出してないかもしれないが 立派な“数の暴力”なんだしさ。
「沖縄平和運動センター」って? 強制捜査で「反社会組織」の風評懸念
琉球新報 12/6(火) 14:42配信
米軍普天間飛行場の移設先の名護市辺野古での新基地建設運動や、米軍北部訓練場でのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設反対運動に絡む行為について、威力業務妨害容疑があるとして強制捜査を受けた沖縄平和運動センターは、復帰後、平和、反基地運動で中心的な役割を担った護憲反安保県民会議や県労協(後に県労協センター)、原水爆禁止県協議会の流れをくむ。過激派の入り込みを抑えながら右翼系団体との衝突を避け、非暴力の抵抗を進めてきた同センターOBや前身組織のOBは「暴力的な行為を排除し、誰でも参加しやすい運動をしてきた」と強調。強制捜査で「反社会組織」との風評が広がることを懸念する。
沖縄平和運動センターは、連合結成を中心とする労働戦線統一後に反戦、平和運動の再構築が注目される中、1993年設立された。現在は社民、社大の各政党や自治労県本部、沖教組などの労組で構成されており、「5・15平和行進」などを主導している。
デモ行進など街頭での運動は右翼系団体から妨害を受けてきたが、同センターメンバーらが参加者との間に入り、衝突を回避してきた。前議長の崎山嗣幸県議は「『挑発に乗るな』ということは言ってきた。現場では混乱が起きないよう常に注意していた」と、平穏にアピールする運動の方針を強調する。
数千人、数万人規模の行動に一部の過激派が紛れ込むこともあるが、追い返すなどして暴力的にならないように努めた。
前身の一つである県労協で83~89年度に事務局長を務め、手をつないで嘉手納基地を取り囲む「カデナ基地包囲大行動」(87年)を企画した吉元政矩元副知事は「県民一人一人が参加しやすい方法を考えた結果、平和的な運動になっていた。過激派の団体も運動していたが、県民は見向きもしなかった。それが県民の強さだった」と振り返る。
復帰後最大の2万5千人が参加したカデナ基地包囲大行動には家族連れも多く参加。主要ゲートに混乱を防ぐための人員を配置し、混乱は起きなかった。
参加しやすい雰囲気づくりは現在も引き継がれており、長時間の座り込みと県警による強制排除が繰り返される辺野古や高江では、演奏会などで和やかな時間もつくっている。
威力業務妨害の容疑とされたゲート前にブロックを積む行為について、同センターの大城悟事務局長は「高齢者や女性が何度も機動隊に排除されるのが心苦しかったのでは」と説明した上で「当時、現場で警察は見ていたはずだ。現行犯ではなく、時間をおいて強制捜査するのは権力側の圧力だ」と批判した。
吉元氏は「大衆運動は政治的な力にもなってきた。それを恐れた政権の政治的な意図が感じられる」と語った。