どちらもトライアウトではそれなりの結果だったようだが、やはり引き取り手は出ないのかな…
物は良いモノを持ってるように感じるんだが…カープもさぁ、〇〇とか××を残すくらいなら、こういう選手を
獲った方が良いと思うなぁ…
母の声援、身重の妻、そして甲子園。トライアウト、23歳の夢のマウンド。
Number Web 11/15(火) 18:01配信
今年の12球団合同トライアウトは甲子園で行われた。
何たる皮肉だと思った。
高校時代の出場の有無はともかく、かつては明るい未来を夢見て青春のすべてを懸けた舞台だ。しかし、11月12日にそこに集まった65名は、閉ざされかけた選手人生の生き残りを懸けてそのグラウンドに立ったわけだから。
しかし、ある経験者は「僕はそう思わない」と言った。
「野球人にとって甲子園は聖地そのものです。最後に、その場所で人生の勝負をさせてもらえる。もう一度花を咲かせられるのが一番。だけど、もしダメでも、甲子園で精一杯やった結果だとしたら諦めもつくと思うんです」
言葉の主は4年前に仙台で行われたトライアウトを受けた元ホークスの近田怜王(れお)。報徳学園高時代には甲子園に3度出場し、3年夏にはベスト8まで進んだサウスポーだった。その後JR西日本で野球を続けたが、昨年引退しそのまま社員として働いている。前夜に大阪で食事をし、たくさんの会話をした。その中で1人の投手の名前を出した時、近田は驚いて声を上げた。
「え、西川が受けるんですか? まだ若いですよね、アイツ」
このオフに中日ドラゴンズを戦力外となった西川健太郎。まだ23歳の右腕だ。
高卒1年目から一軍デビューを果たして先発マウンドにも立った。
2年目にはプロ初勝利を挙げた。7回2死までは完全試合という衝撃のピッチングに、ドラゴンズファンは「将来のエース候補」「次世代の期待の星」と騒ぎ立てた。
あれから多くの月日が流れたわけではない。にもかかわらず、だ。プロの厳しい現実を感じずにはいられない。
近田と西川は、かつて一緒に自主トレをした縁がある。西川はチームの先輩でありエースの吉見一起を師事して、'13年と'14年に福岡での自主トレに参加したことがあった。
吉見は言う。
「アイツは独特のストレートを投げました。球速は140キロちょっとだけど、もっと速く感じるんです」
だけど、と言葉を継ぐ。
「いい素質を持っているのに、自分の色を出すことが出来なかったのかなと思うんです」
しなやかなフォームから伸びのあるストレートを投げ込むのが西川の最大の武器だった。
しかし故障もあり、投げ方に迷いが生じた。投球フォームが固められない中、5年目を迎えた今季途中に異例の決断を下した。6月に突如オーバースローから、比較的横手投げにも近いスリークォーターへと変えたのだ。
シーズン序盤からファームでも登板機会が少なく、焦っていたのだろう。何かを変えなければ前には進めないという気持ちは痛いほど伝わってきた。
しかし、プロ野球は付け焼刃の技術が通用する世界ではない。フォームを変えてからも、投手プレートの立ち位置を途中で変えるなど、はっきりとした答えは見出せないまま、シーズンを終えた。球団事務所への呼び出しがかかった時、少なからず覚悟はできていた。
果たして、迎えたトライアウト。
吉見からは「頑張れよ」と短い言葉だけをかけられた。長く話せば余計な感情が生まれてしまう。あえて普段と変わらず接した、吉見なりの気遣いだった。
マウンドに立った西川は、元のオーバースローに戻していた。
投げ終わった直後に甲子園の裏通路で会うことが出来た。
「むちゃくちゃ緊張しましたけど、やることはやれました。投げ方を戻すことを決めたのはクビを通告されてすぐでした。もともとこの形で小さな頃からやってきたし、それでプロに入って、勝つこともできたから」
トライアウトはシート打撃形式で行われ、1人の投手は打者3人に投げる。
ボールカウント1ボール1ストライクから始まる変則ルールだ。西川は渡辺貴洋(元巨人育成、現BCリーグ新潟)、八木健史(元ソフトバンク育成、現BCリーグ群馬)、佐藤貴規(元ヤクルト育成、現BCリーグ福島)と対戦した。
あまり実績のない相手ばかり。結果だけで何かを語れるわけではない。ただとにかく拘ったのは「また、自分の理想の、強いストレートを投げ込むこと」だった。
3人合わせても全部でたった10球の勝負。ウイニングショットはすべて直球だった。
最初の打者を空振り三振に仕留め、2人目はセンターライナー。そして3人目。最後の1球は、3度も首を振って、めいっぱい右腕を振り抜いた。
セカンドフライに打ち取った。
「最速は141キロでした。久しぶりに投げたことを考えれば、まずまずだったと思います。ストレートが魅力と言われてこの世界に入った投手です。だから最後の1球はどうしても真っすぐで勝負したかった。
(フォームを)上から投げたことが正解だったかと訊かれれば、それは分かりません。もしかしたら肘を下げた方がもっといいピッチングになっていたかもしれない。だけど、悔いのない選択をしたと自分では思っています」
スタンドでは故郷・石川から駆け付けた母が名前を叫びながら声援を送った。
一方、1つ年下の若妻は名古屋の自宅にいた。12月下旬には第1子が誕生する。
「いい報告が出来るようにと思って、マウンドに立っていました」
トライアウト参加者に興味を持った球団からの連絡は、原則的に1週間以内に来ることになっている。
プロ野球で成功するには当たり前だが、才能と努力が必要だ。結果を生むのが才能であり、それを継続させるために必要なのが努力だと思っている。だから、そもそも才能がなければ、たった1つの勝利でも掴むことはできない。
少なくとも西川には才能はあった。あとは努力の仕方だった。
それを新天地で学べば、何かが変わる可能性は秘めている。
だから、思う。ユニフォームを脱いでしまうにはまだ早すぎる。西川は吉報を信じて、翌日もナゴヤ球場を訪れて体を動かした。
「あと、僕に出来ることは待つだけ。手を合わせて、祈りながら待ちます」