1975年10月15日の午後5時18分、RCCラジオの絶叫は忘れようったって忘れられん。
テレビの冷静な実況と違って感情入りまくりだったし…他にもいろんなスポーツ実況アナを
聴いてきたが、上野以外は全然記憶に無いなぁ…
日刊スポーツ 9月4日(日)9時54分配信
<25年ぶりVへ:わしらはみんな広島じゃけん>
プロ野球広島カープが前回優勝した25年前、その優勝決定を実況した地元アナウンサーにスポットを当てる。1991年(平3)10月13日、旧広島市民球場の阪神戦。当時、広島テレビ(日本テレビ系)のアナウンサーだった加藤進氏(69)は、優勝に立ち会った実況アナとしてあの言葉を忘れていない。
あのときの記憶は驚くほど鮮明だ。「ミスター赤ヘル」といわれた山本浩二監督が何度も宙に舞う。91年10月13日。旧広島市民球場での阪神とのダブルヘッダー第2試合。広島が1-0で阪神を下した瞬間、実況を担当した加藤氏は「勝った!」と叫んだ。
「最後はよく覚えてます。ストッパーの大野が三振を奪うと、捕手達川がマウンドへダッシュした。予定稿を考えていましたが、ああいう瞬間って、吹っ飛びますね。思わず出た言葉が『勝った』。あのときのファンの気持ちを表した短くて、パンチ力のある言葉だったのではないかなと思います」
当時の流行歌はKANの「愛は勝つ」など。SMAPがCDデビューした年でもあった。山本監督は就任3年目での初優勝となり、地元での胴上げは12年ぶりだった。
「これまで6度の優勝のうち地元Vは2度ある。実は2度ともテレビの実況を担当したのは私です。これ、自慢です(笑い)」
79年(昭54)10月6日、同じ旧広島市民球場で古葉竹識監督率いる赤ヘル軍団が阪神に勝ち、2度目のリーグ優勝を果たした。その試合を実況したのも加藤氏だった。「地元胴上げアナ」と言われることもある。
「これはもう運なんです。広島にはNHKを含めて5局ある。単純に言っても優勝が決まる本拠地の試合を放送できる確率は5分の1。しかも本拠地でなければ地元のアナウンサーが実況できない。すごい確率なんです。だから宝くじに2度も当たったようなものです」
69年(昭44)に広島テレビに入社。アナウンサーとして広島のすべての優勝にかかわってきた。新幹線にチームと同乗し、吉報が届いた瞬間をリポートしたこともあった。広島への思いとアナウンサー人生を重ね合わせた。
「カープの優勝は私の人生だった」
12球団で最も歓喜から遠ざかる四半世紀ぶりの優勝へ-。加藤氏の後輩アナへの思いは強い。「どこの局でもいい。地元のアナウンサーに本拠地マツダスタジアムで実況してほしい。それが新しい歴史になる」。「勝った!」。その瞬間を自らの言葉で伝えてほしい。【松浦隆司】
◆加藤進(かとう・すすむ)1947年(昭22)1月21日、滋賀県生まれ。中学2年のときに広島市へ転居。広島大を卒業後、69年広島テレビに入社。プロ野球中継を担当し、報道制作局アナウンス部長を歴任。07年定年退職。現在は安田女子大(広島市)の非常勤講師として日本語と映像文化を教えている。